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どうもっ!ものグラムです。

今回は2021年11月2日(火)〜3日(水)に敢行させて頂きました、愛知・名古屋「尾張名古屋は〆でもつ」よりその7、2日目最終日1軒目の訪問実食終了後より進めて参りたいと思います。

その6では最終日1軒目、「洋麺屋 牛次郎(GYUJIRO)」に到着しいよいよ店内へ。店舗おすすめの「特製牛骨カルボナーラ(フィットチーネ)」(海老と明太子のカルボナーラ)をオーダーし実食モードへと切り替え一口一口真剣に頂く模様をお伝えさせて頂きました。

では!次は今年最後の遠征実食ラスト、と思いながら進みますが...。「う、う〜ん、ど、どないしょかな?」とは?見て参りましょう!宜しくお願い致します。

「あ”〜、うまかった〜。ラスト2軒目行くか?う、う〜ん...。」

「あ”〜、うまかった〜。実食後にもいちど店舗外観一枚、っと。ラスト2軒目行くか?いや、う、う〜ん...。」

最終日1軒目の「洋麺屋 牛次郎(GYUJIRO)」の実食終了は12:19。

「思ったよか長居してもたけど、んでもまだ時間は早いよな。2軒目に移動して13時、実食終わって帰りの電車14時台〜....ちょい早いかな....」

帰路の事も視野に入れメニューを考えますが、14時台に電車に乗ると帰宅は18時台となり、その後のメニューは楽になりますが、あまりにも淡々としている思うと迷いが生じました。

「覚王山の駅にさ、〇〇は←って看板あったやん?それって有名な観光スポットやろか?って行きにマップでちょい見たけど、気になるっちゃなるよなぁ....。う〜ん、ど、どないしょかな?」

「洋麺屋 牛次郎(GYUJIRO)」の最寄駅の「覚王山(かくおうざん)駅」に到着時、ホーム壁面にある看板「←〇〇」と書かれたスポットを記憶していた為、実は往路途中でスマホ地図にて一応確認はしていましたが、その往路道中は時間的に無理だと思っていました。

「う〜ん〜、一応まだ12時台やんか、2日目2軒訪問実食して13時過ぎにメニュー終了したら出発の11時からたった2時間しか働けへんやん、そ、それアカンやん...。帰りの電車で爆睡して....ってアカンやん!多分行ったら1時間位時間割くかもやけど、ぜんっぜん時間あるやん?」

「んで、また次回ってゆうてさ、次回ここ来る?絶対行かへんやんな...、一期一会ってわぃよ〜ゆうとるやん、それやん!お、おしゃ、今回の出会いや!いぐで〜!」

と、復路を歩きながら敢行決定となったスポットは少々高台にあり、途中右折し住宅街の中を歩きます。

「ほんまに、こんな住宅街、しかも結構高級な場所なんかな?こんなとこに自然に囲まれたあの建物なんてあるん?」

かなり急な坂を登り、斜面が平坦になった瞬間。

「あ”、着いた....。こんなとこにあるんや〜。んでもあの建物はまだ見えへんな」

この施設の門を確認しますが、この段階ではマンションがあり、観光スポット感は感じられないものでしたが、奥の木々に期待しさらに進みました。

「うわっ!!いきなり!き、きた〜〜!!」

今までの住宅地の様相から急遽変わり眼前に広がる光景はスマホ地図にてインプット済みの建物ですが、敷地内に入り直ぐ出会うとは思ってもみませんでした。

「うっわ〜、味あるなぁ。スマホ地図で見てもどんなシチュエーションで佇んどるとかわからんやん、奥地にあると思いきやいきなり現れてびっくりしたけど、んでもよかった〜、来れてよかったわ。んなUターンして2軒目へ。それ一番やったらアカンやろ...」

そんな事を思いながら到着したのは12:33、知る人ぞ知る観光スポットでしょう、「揚輝荘(ようきそう)」。(詳細は公式HP:揚輝荘をご参照くださいませ)

「揚輝荘」とは、大正から昭和初期にかけて(株)松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)の別荘として覚王山の丘陵地に建設された、 名古屋の近代における郊外別荘の代表作だそうです。

起伏に富んだ約1万坪に及ぶ広大な敷地に、池泉をめぐらすなど地形や周囲の自然を活かして造られ、最盛期には建築的・歴史的価値の高い30数棟に及ぶ建物があったそうです。

そして、この建物は「揚輝荘」内に1937年(昭和12年)に建てられた「聴松閣(ちょうしょうかく)」で、ハーフティンバー(北方ヨーロッパの木造建築)などの「山荘風」な外観に仕上げられた迎賓館だそうです。

「い、いきなり景色変わったけど、や、やっぱ入ってみな!300円?や、安い....」

そうして、入り口にて入場料を支払うと、

「ようこそいらっしゃいませ、お履物を....」

「あ、は、はい。お、おいしょ、と」

「大丈夫ですよ(焦らなくても)」

「はいどうぞこちらへ。あの〜、皆様も是非。強制ではございませんが簡単にご説明させて頂きますので宜しくお願い致します」

私、「ものグラム」が到着した時、案内係の方がグループ最後として誘致して下さり、計3グループ(5名)にこの施設について解説してくれました。

「当時は1万坪もある広大なものでしたが、戦時に焼失しまして、現在はマンション等も建設されましたが、こちら南園から入り口前に細い通路がございましたですね、そちらから徒歩すぐで行く事が出来ます、北園の池、橋もぜひご覧くださいませ」

と説明されました。

当時の「揚輝荘」のジオラマ。このジオラマにてガイドの方から簡潔な説明がありました。

「なんかめっちゃご丁寧でこの建物内も楽しみ!池にもいぐでっ!」

そう思いながら、いよいよフリーにて撮影タイムに入りました。

「聴松閣」内撮影、お披露目タイム。

「いや、ほ、ほんまに築80年以上やろ....、昭和初期の超高級建物やんな....、」

実は「聴松閣」へ入る前に撮影させて頂いたのがこちら。「車寄せ天井」と言われる、角を見せず一枚の面の様に漆喰塗りで仕上げれた天井。

一階部分、旧居間スペース。暖炉左右の腰壁タイル目地には金箔が貼られた仕上げになっているそうです。

2階に上がり最初に入ったのは旧書斎。天井は船底天井、床は当時の新素材、「プラスチックタイル」の市松模様。現代にも通用する当時の最先端技術に違和感は全く感じられませんでした。

こちらも2階、旧応接室。イギリス山荘風客間として使用されていたそうですが、奥の丸窓、ソファは一等船室のイメージ。公式パンフレットには「インド旅行ヨーロッパ旅行の思い出でしょうか。」とありました。

こちらは2階旧寝室B。中国様式の装飾が施された来客用の寝室として利用されていたそうです。雷文の床、天井の鳳凰、暖炉状の木鶏などの中国装飾が特徴です。

この「聴松閣」唯一の和室は旧寝室A。面皮柱(めんかわばしら)、べんがら色の壁、竹町押の茶室、「数寄屋(すきや)」造風に建てられた、実は来客者の「お召し替え」として機能されていた様です。

「これでもじゅうぶん見ごたえあるけど、個人的には地下や!ってかこの時代に地下あるって相当ヤバない?」

2階の雰囲気とは全く異なる、異次元の世界へと階段を降りる事で味わえる、そのひととき。

「うわっ!世界全くちゃうやん!い、インドやんな。」

ガイドさんによると、伊藤次郎左衛門祐民さんが仏教(インド密教)を求め実際にインドへ行き、それらを吸収し現したのがこの光景。インドのアジャンタ石窟の写しと言われ、釈尊誕生にまつわるシーンを写されたそう。作者はインド・タゴール退学から来日していた留学生、バルク・ハリランだそうで、1938年7月7日〜8月23日制作のサインが残されているそうです。

「や、ヤバすぎやん...」

「んでまだ、この先あるやん....、頭おかしなる感じ....。」

その先にあるのはこちら。

「うっわ!舞台。こうしてみたら大きくはないけど、地下やろ?体育館スケールに比べたらちっこいけどこれ地下。なんか空間として異次元すぎちゃうん?」

先の一枚からの反対側がこちらとなりますが、旧舞台場。能、狂言で使用されていたと思われる、とありました。

「でも、これが一番印象に残るやん...」

こちらはカンボジアの「アンコールトム」に見られる、踊り子のレリーフだそうで、祐民がインド旅行の途中、シャム(タイ)のバンコクからカンボジアまで足を延ばす際に得、取り入れられたそうです。

「いやぁ、今見ても超複雑、世界のあらゆる良いもんを取り入れた建物....。80年以上前やろ?ヤバすぎへん?」

今回ご縁があった「揚輝荘」、そしてこの建物、「聴松閣」の異文化が凝縮された作りに、

「この祐民さんは超ロマンチストやったんやろなぁ、限られた空間をより自在に広く感じさせる世界観...、これはヤバいわ....」

素直にそう思いながら退出、ですが。玄関口でスリッパから靴に履き替える際。

「どうもありがとうございました〜。ぜひ北園へ〜」

「あ、も、もちろん行かせて頂きます〜」

と、念押しされ北園へ。

「おっしゃ!行きよりもナイスショット!」

実はこの「聴松閣」のモデルになったのは長野県の上高地にある「上高地帝国ホテル」だそうです。

「これは祐民さんが中国で買って来た、南北朝時代の石像やって〜、ま、まじか〜?]

「こ、これは結構現実的やな...」

「で、でも、このマンションの住人は元揚輝荘に住んどるってわかっとんのやろか?あ、わかっとるからこんな高級マンションの佇まいなんか?...」

「おおっ!き、きた〜。」

「これかぁ!ガイドさんがゆっとたんは京都の修学院離宮を模した...京都何回も行ったけど修学院?い、行った事ない.....。」

「この橋は白雲橋やて、これも修学院離宮の「千歳橋」を模した北庭園のシンボルやて。ここでコンサートもされたそう」

「おっしゃ!逆光でラストショットや!フレアも味やろ、紅葉間近のショットで終了や。今回こうして来られたん、ほんま一期一会やったな。やっぱ来れて良かった。これ行かへんかったら後悔するか、知らず平和やったか....?なんでも経験したもの勝ちやな!」

そうして、今回時間的に葛藤した麺以外のリサーチ、一期一会の「揚輝荘」との出会いは間違っていなかった、そう思いながらラスト1軒の最終実食を残し悦する瞬間を頂けました。

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次回こそ「ラスト」。21年最後の〆実食とは?

はい〜、今回も全く「ダイジェスト」ではありませんでしたが、麺以外のスポットも紹介させて頂きたくなっている、私「ものグラム」となります(笑)。

「揚輝荘」のご縁は本当に予期せぬものでしたが、気になる方はぜひ行って頂きたいスポットでした。

では!「ダイジェスト」といいながら長期ロングな遠征記事となった最終はいかに?お楽しみに。宜しくお願い致します。

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